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慢心・安心・有頂天・傲慢・天狗は皆落ちていく

慢心・安心・有頂天・傲慢・天狗は

皆落ちていく

 

説明するまでもない。

 

そのいずれも相場戦線においては、最も戒むべきことである。

 

要するに、

人間ができていなければ勝道千里を歩むわけにはいかない。

 

相場道とは、このように厳しいものである。

待は仁・進は勇

待は仁・進は勇

 

待とは時間の過ぎるのをじっと見ていることで、

焦らない。

 

状況が変化するのを待つ。

 

風向きが自分に有利になるのを待つ、

待のは体力と気力と読みを要する。

 

仁は博愛であり、

いつくしみ。

 

調和である。

 

焦らず時の至るのをじっと待つことがことができる人物は

大きな敗北をしない。

休むも相場

休むも相場

 

進むべきか、

退くべきか、

相場にはいろいろと決断しなければならないことが多い。

 

要するに、

進退決めかねる時は休めというわけで、

休めとは休戦である。

 

戦線が拡大していて、

しかも苦戦中だから迷うわけで、

休戦しろということは、

少々の犠牲を生じても後退しろということになる。

 

「守りて勝つは難し」

と前項の格言もあって、

迷うは一種の危機である。

 

 

 

 

 

年年歳歳花相似たり、歳歳年年相場同じからず

年年歳歳花相似たり、

歳歳年年相場同じからず

 

相場の春夏秋冬、だいたい言われる材料は似たようなものである。

 

しかし、相場する人が毎年違ってくるし、

三年周期、五年周期というものもあれば、

景気の変化によって相場の質も変わっていく。

 

乱世を背景にして、川のほとりに立った孔子は感慨をこめて

「逝く者かかくの如きか、昼夜をおかず」と言った。

 

蘇東坡は前赤壁の賦で、

「万物は変化するという観点に立つならば、

不変と思われる天地といえども、

ただの一瞬もじっとしていない。

しかし、万物不変の観点の立つなら、

どんなものでも、たとえ、

はかないと思われる自分でも決して尽きてなくなることはない。」

と言った。

人間ができないと、お金は居つかない

人間ができないと、お金は居つかない

 

戦前の堂島の米相場時代から相場をしてきた古老が、

お酒を飲んだ時、

「とどのつまりは、

人間ができないうちは、

相場でも商売でも事業でも、

お金はできない」

と言った。

 

人間ができるとは、人間として、どう生きるべきか。

 世の中とは、どのようなものかを知ることである。

 

相場格言のすべてについても、

人間の弱さというものを知り、

いかに対処していくかを知らせている。

 

投げ終われば反騰する。踏み終われば反落する。

投げて、投げて、投げ終われば反騰する。

踏んで、踏んで、踏み終われば反落する。

 

相場とはいうものは、

そのような仕組みになっている。

 

「もう」は「まだ」なり。

「まだ」は「もう」なり。

 

誰もが買い玉を投げ終わると必ず底が入るし、

売っている人が踏み終わると必ず天井する。

 

相場の窮極の原理・原則です。

 

要するにそれは人気(人の心)という感情と、

懐の勘定(資金面)によるものだ。

 

 

人生の処世術

動乱が大きい時は都会が安全であるが、

動乱が小規模の時は地方が安全である。

 

中国4千年、

動乱の中に生きた人によって実感として割り出した処方術です。

 

これを大地震などの災害復旧対策で見ても大都会ほど対策が早い。

 

兵乱では地方の情報は中心部に届きにくい。

 

対策も遅れる。

 

老人になったら大都市に住むべきであると言われる。

 

医療機関も、治安も、文化も、日常生活も、

大都市の中心に居をかまえたほうが、

山紫水明の田舎に住むよりは老人にとっては都会が良い。

 

相場界では、

海外の動乱、ストライキ、天変地異等の災害などの生産、流通にかかわる問題で、

ニュースに対する反応は情報の一方的な流れによって判断しにくいが、

自分なりの基礎になるでしょう。

 

進まざれば退く

天下の事、進まざれば退く

 

易経、

既済の象伝にある言葉で、

世の中というものは、

それが進まない時は、必ず退く時である。

人間の力で無視して進めても、また戻される。

 

相場をしていて、つくづくそのことがわかる時がある。

たいがい、後からわかるのであるが、

進むか、

進まないかの見極めができるようになったら一人前。

 

 

 

大欲は無欲に似たり

大欲は無欲に似たり

 

あんまり大きな欲を出しすぎると効果が消えてしまう。

 

相場も利食い(幅)は器量。

 

その人の器しか取れない。

 

そこに「分を知れ」と言われる。

 

分とは人間的な身分である。

 

階級ではない。

 

「足るを知る者は富みあり」

というのも、分相応を心得ればこそ。

 

自分の人間としての器が小さいのに、

欲望だけは大きすぎれば得られるものさえ逃してしまう。